田村正勝コラム:行政機関の地方移転と地方分権化を!----一極集中の是正で地方の活性化

庁も独法も地方へ

 消費者庁が徳島に、文化庁が京都に移転する案などに関して賛否両論があるが、政府は34の中央省庁や独立行政法人の研究機関を「移転候補」として公表した。このうち地方から要望が強かった国や独法の研究機関や研修施設では、「産業技術総合研究所」「水産総合研究センター」など22機関が検討対象だ。

 ただし政府の「まち・ひと・しごと創生会議」の方針では、これらのうち中央省庁では北海道と兵庫が要望していた「観光庁」など7機関、徳島が希望する国民生活センターなど各省庁と関連性が強い独法5機関が対象に残っただけである。

 当初は42道府県が69機関の移転を提案したが、政府が移転コストや経済波及効果などから約半数に絞り込んだ結果、岩手など8県は提案が全て退けられた。また研究所の全体の移転の検討は、大阪提案の「医薬基盤・健康・栄養研究所」傘下の研究所だけである。これら移転は日本では画期的だが、遅すぎる。大いに進めるべきだ。しかし組織全体を移さない「一部移転」が大半で、当初の目的の「東京一極集中の是正」に繋がるか疑問だ。

全省庁の分散を!

 筆者は01年の省庁再編成に際して、この再編合併よりは当時の全25省庁を、地方に散在させることを主張した。これが実現していれば、少なくとも2県に1県に省庁があり、その地方経済における効果はかなり大きい。

 日本の公務員数は、もともと人口との比率で世界的に見て多くはないが、たとえば労働省と厚生省とが合併して、公務員数の節約、事業や事務の減量化その他の効率化が進んだとは思えない。むしろ合併から生じた不都合さをカバーするために、非常勤公務員を増やしている始末だという。しかし省庁がすべて地方に移転すれば、東京一極集中を避け、地方の活性化に繋がる。また「霞が関地域」の有効利用の道も開ける。

 インターネットやテレビ電話の時代に、省庁が霞が関に集中しているメリットも理由もない。かつての西ドイツの首都ボンには、国会が在っただけで省庁は各州に分散されていた。この趨勢は現在のドイツはもとより、フランスその他でも同様である。

 さらに民主主義の観点から「地方分権化」をも推進し、行政の「カネ」も「権限」も地方にもっと委譲すべきだ。それが「支配者と被支配者の一致」(カール・シュミット)という民主主義原理にかなう。このような地方分権化が進めば、政治や行政の中心が住民の近くに来るからだ。したがって行政の内容も住民にいっそう明らかとなり、本来の民主主義の「住民参画型民主主義」が可能となる。

自立自助の民主主義

 EUはこれを推進するために92年の「マーストリヒト条約」によって、すべての加盟国に「補完性原理」を導入した。すなわち「市町村」など小さな地方自治体の単位で可能な行政は、全てこれに任せる。大きな単位でなければ不可能な行政や非効率なものだけを「州」などのより大きな自治体に上げ、そこでも不可能もしくは非効率な行政だけを国家やその上のEUの行政が遂行するという原理である。

 民主主義を端的に説いたリンカーンも「政府の合法的活動対象は、必要であるが、人民が全く行いえないこと、もしくは彼らのバラバラな個別能力ではできないことである。そのようなことなら何であれ、政府は人民の共同体のために行うが、それ以外には政府は介入すべきでない」と主張した。

 要するに「補完性原理」は、「自立自助の民主主義」の基本原理にほかならない。EUはこの原理に基づいて一気に2万ほどの法律を改正し、地方分権化を図った。ここに真の民主主義が生まれ、同時に法的にも道徳的にも責任を伴う「支配者と被支配者の一致」の民主主義が実現する道が開かれる。

 かつて地方分権化の主張に対して、地方は人材に乏しいから「権限委譲」されても困るという自治体の首長が多かった(PHP研究所調査)。これが地方の中央依存体質と自立性の欠如、さらには地方の衰退に繋がった。今や徹底的な地方分権化を推進するほかはない。

(本稿は『通信文化新報』の4月11日号に寄稿した内容とほぼ同じである)