田村正勝コラム:なぜ日本だけがデフレの持続か-----伝統回帰でワーカホリックの克服を-----

(一)長時間労働・ワーカホリック・低生産性


 日本の代表的なテレビ番組のディレクターが、5月の連休前にドイツに取材に行ったので、彼に「連休は休みが取れるか」とたずねたところ、番組が続いているので休みは取れないと言う。また彼が、これをドイツの同業者に話したところ驚いたと言う。ドイツでは同じ番組の取材班は2組あり、1週間おきに休みが取れるそうだ。

テレビ局に限らず、先進諸国には例がない日本の「ワーカホリック(仕事中毒)」状況は、一向に止みそうもない。これが一方で「うつ病の社員」を激増させ、他方で「労働生産性」の著しい低さを継続させている。もっとも「時短」運動の結果、2000年頃に「年間労働時間」は1800時間ほどまで短縮されたが、その後の規制緩和策による非正社員の増大に伴って「正社員の労働時間」が伸び、再び2000時間以上となっている。オランダやドイツの1.5倍近い長労働時間だ(表1)。

(表1)1人当たり平均年間総労働時間

  日本 オランダ
1990 2031 1834 1796 1765 1578 1665 1451
2005 1775 1799 1745 1673 1431 1507 1393
2013 1735(2018) 1788 1745 1669 1388 1489 1380
2014 1729(?) 1789 1704 1677 1371 1473 1425

  *労働政策研究・研修機構『国際労働比較2015~16年データブック』より作成

  *日本のカッコ内は正社員の労働時間<厚労省調査>)

 他方で日本企業の労働生産性は低く、「時間当たり労働生産性」はOECD加盟国34カ国中で20位であり、先進諸国の平均を25%も下回っている。同様に「売上高営業利益率」も極めて低く、過去30年間の東証1部上場企業の平均が5.3%で、14年でも5.9%と推定されるが、これは欧米諸国の約半分である(日本生産性本部)。
長時間労働が一方で「時間当たり労働生産性」を低くし、更にこれが「売上高営業利益率」を低くしている。他方で日本の自殺者は98年から上昇し、11年までの14年間は毎年3万人を超えていた。それは、30~40歳代の「うつ病患者」が増大したからであるが、これも長時間労働が引き起こしている。
 さてこのように「低生産性」と「低利益率」から当然にも、「実質賃金」も上昇しない。後に述べる人口減少と並んで、これが「消費不況」の「デフレ経済」を15年以上も引き延ばしていると言える。表2のとおり「時間当たり実質賃金」は、00~13年の間にフランスが42%、アメリカ34%以上、ドイツでも28%以上伸ばしているのに、日本はたった3.5%しか伸びていない。しかも08年より低下した。

(表2)時間当たり賃金指数(10年=100、カッコ内は00~13年間の伸び率%)

  日本 オランダ
2000年 99.3 77.0 83.6 84.0 84.0 75.4 79.0
2008年 104.0 95.4 100.4 94.8 96.2 96.2 96.0
2012年 101.9 102.5 106.2 103.2 105.5 105.0 103.3
2013年 102.8 103.7 106.1 105.6

108.1

107.1 104.9
3.5 34.6 26.9 25.7 28.6 42.0 32.7

*労働政策研究・研修機構『国際労働比較2015年データブック』より作成

(二)成熟飽和経済と価値観の転換


ヨーロッパは生活重視の価値観へ

 ヨーロッパ社会では従来は「ヘブライズム(キリスト教)」の「祈りかつ働け」という伝統から、労働が重視されてきた。しかし70年代に入る頃に経済が「生産力成熟・消費飽和」の「成熟飽和経済」となった。持てる生産力をフルに発揮すると、消費出来ないほどに生産物ができてしまう経済となった。そこで人々の価値観も大きく変わり、ギリシャ・ローマの「ヘレニズム(ギリシャ・ヒューマニズム)」の伝統が重視されるようになった。

 つまり労働も大切であるが、それ以上に生活全般を重視し、特に「余暇生活」を大切にするように価値観が変わってきた。ちなみに古代ギリシャでは旅行や沈思黙考などの「高貴なる閑暇」が最重視され、次に「公的な実践」が大切とされ、「生産活動」は奴隷に任せていた。こうしたヘレニズムの影響から、ヨーロッパでは「時短」が進展して、その結果、成熟飽和経済に相応しい労働時間となり、「生産性・賃金」も向上した(表1、表2)。

 

人生を愉しむ日本の伝統と「宿世仏教」

 日本では室町時代に茶道、花道(立花)、香道、連歌など日本の代表的な文化が形成されたが、これらの多くが賭け遊びであり賭博であった。たとえばお茶を飲んで産地を当て合うが、当人達はこれに砂金や杉原紙その他を「賭け物」として賭ける。また周りの見物人も、これに「物」を賭けて応援する。これが「闘茶」であり、茶道の始まりである。

 この「闘茶」ばかりでなく上記の日本の文化は「前世・現世・後世(三世の因縁)」の「宿世仏教」に由来するところの、庶民の「運試し遊び」であった。前世の因縁で自分の運命が決まっているならば、それを知ろうとする「運試しの賭け」である。香道も十種香のように、種類を嗅ぎあてる賭博であった。

 さらに囲碁も将棋も、現在の賭けマージャンと同様に「指し手」や「打ち手」が賭けるばかりでなく、老若男女の見物人も賭けている。ちなみに当時の囲碁のチャンピオンが、日蓮宗の「本因坊」に住んでいた僧侶であった。これが「本因坊戦」の由来である。

 

儒教道徳と遊びのバランス-----繁栄を謳歌した巨大都市の江戸

 しかし江戸時代に「儒教」が庶民に広まると「仕事に誠を尽くす」という価値観も広まり、石田梅岩の「石門心学」や二宮尊徳の「報徳」の思想が流布する。けれども室町時代からの伝統が有るから、決して「ワーカホリック」とはならなかった。各地方の農民も町人も、それぞれ独自の「神楽」や「能」を愉しみ、俳句や川柳に興じた。芭蕉をはじめ多くの俳人たちが諸国を行脚できたのも、このような庶民の文化基盤が形成されていたからである。

 また江戸の人口は約100万人で、当時では世界で最も人口の多い、かつ繁栄していた都市の一つであった。人々は日常的に生活を愉しみ、それゆえ見世物小屋、芝居小屋、団子をはじめ様々な食べ物屋などが軒を連ねていた。

 また今日の高等数学レベルの「和算」を競い合うところの「魚屋や八百屋のオヤジさん達」の類も、決して少なくはなかった。しかし、こうした状況は明治維新以降から徐々に変わってきたが、それでも太平洋戦争前までは「生活を愉しむ伝統」が十分に伝わっていた。

 

自然・精神・経済を破壊したワーカホリック

 けれども敗戦とともに、アメリカの「生産性主義」をはじめ「経済競争至上主義」が入り込むと、日本のこうした伝統が失われ、今では欧米諸国よりはるかに「労働至上主義」「ワーカホリック」となった。それが自然と人間の精神を侵すばかりでなく、国民経済をも危機に陥れている。

 さて、いまや日本の伝統に立ち返る以外に、この危機を脱出する方法はなく、現在の労働時間を半分にし、生活をエンジョイすべきである。たとえば被雇用者全員が「有給休暇」を完全に消化するだけで、190万人ほどの正社員の増加となり、毎年15~16兆円の追加所得が生まれると言う(日本生産性本部)。

 ドイツではバカンスの交通渋滞とホテルの混雑を防ぐために、小学校の夏休み期間を地域ごとに変えている。日本でも皆が生活を愉しむことができるように、こうした工夫をはじめ、すでに度々述べた「同一価値労働は同一賃金」「中小企業の開かれた談合」「過当競争の歯止め」などを制度的に導入すべきである。

(三)生産年齢人口の減少と日本の経済の危機


日本だけが生産年齢人口の激減

 文明の「春夏秋冬」を説いたドイツの歴史家シュペングラーは、近代文明においては人々が「極度な知的生活から不妊症」となり、人口が減少し、他方で「空洞化した民主主義」とともに知性も破壊され、近代文明は21世紀には無制限な戦争を伴って滅びると指摘した(『西欧の没落』1917年)。

 昨今の世界の戦闘集団や民主主義の状況から、この指摘を必ずしも無視できない。しかし日本の人口減少は「知的生活」に拠るのではなく、「労働至上主義」と「所得格差」に拠るといえよう。ちなみに「スマホ・ホリック」は知的ではない。

 それはともかく先進諸国の中で、日本だけが生産年齢人口が減少している。欧米の出生率は日本より高く、また外国人労働者の参入も日本より容易であるから、「生産年齢人口」は減少するどころか、アメリカやカナダは80年比で40~50%増え、フランスでも20%近く増加している。

(表3)生産年齢人口(15~65歳 万人)の推移と1980~2014年間増減率(カッコ内 %)

  日本
1980年 7,812 15,217

1,663

3,607

5,216 3,434 3,621
2014年 7,778 21,360 2,414 4,102 5,433 4,107 3,939
増減率 (△0.5) (40.3) (47.6) (13.7) (4.1) (19.5) (8.7)
2025年 7,141 21,891 2,455 4,913 4,999 4,117 3,805

  *労働政策研究・研修機構『国際労働比較2015年データブック』より作成

 

 ところが日本の生産年齢人口は、1980年の7800万人から98年には8900万人に増えたが、2015年では再び7800万人に逆戻りだ。この98~15年の17年間に1100万人の減少で、これは年間65万人ずつ減少し、大きな県庁所在地の人口がまるまる毎年消滅していく勘定である。

日本の伝統に戻るべき-----法制的に伝統回帰を!

 他方で人工知能(AI)やロボットによる自動化などで、2030年の雇用は現在より735万人減少するという(経済産業省の試算)。それゆえ絶対数では、生産年齢人口の減少を過大視する必要もないとも見られるが、それは逆である。毎年かなりの割合で雇用機会が減少するのであるから、いっそうのワークシェアリングが不可欠となる。

 日本の出生率の低下は、「長時間労働」と「所得格差」ゆえに「結婚できない若者」の激増が大きな要因である。そしてこの長時間労働が「低生産性」と「国民経済危機」の主たる要因でもある。出生率1.4を政府の目標の1.8に近づけるためには、「労働至上主義」を「生活最重視」の価値観に転換し、これに基づいて「“同一価値労働は同一賃金”の時短・ワークシェアリング」を進めることが至上命令だ。

 これは戦後の価値観を根本的に変え、政労使一体となって推進しなければ不可能である。したがって日本の本来の価値観に基づいて、それを実現するための諸制度を法制化しなければならない。これによって一方で「所得格差の修正」も「デフレ脱却」も可能となり、それが「介護離職者減」「待機児童ゼロ」の制度の創設につながる。

 その結果、適正な「年齢分布」の人口動態となってゆくであろう。これが実現されなければ、「年金受給年齢」とこれを支える「生産者年齢」の人口の割合が「1対1」となる日も遠くはない。要するに年金制度が維持できなくなる。ちなみにこの割合は、1950年では1対12.1人であったが、すでに2010年では1対2.8人となっており、この人口動態が続くと60年には1.3人にまで減少する(内閣府『高齢社会白書(2015年版)』)。