田村正勝コラム:みんなで陽気に飲もう------ビール税改定に寄せて


ビスマルクもゲーテも称えた

 かの鉄血宰相ビスマルクは「タバコを燻らせてビールを飲んでいる者を怒らせるのは難しい」と言い、またゲーテも「書物は塵にまみれていても、ビールジョッキが賢くしてくれる。ビールは楽しくさせてくれるが、本は不愉快にするだけさ」と宣った。
 日本では2026年までに段階的に「ビール税」が変わり、現在のビール77円、発泡酒47円、第三のビール28円の税額が55円(いずれも350cc当たり)に統一される。遡ると戦費調達の財源として1896年に「酒造税法」が制定され、1901年に「ビール税」が導入されたが、ビールは国民的な人気となり、酒造税は国税のなかで1935年までほぼ最大の税収源であった。
 終戦後は1953年に現在の酒税法が制定されたが、ビールの税率は第2次大戦時の高水準に据え置かれ、また75年以降の10年間で4度の酒税改定でも、ビール税は常に増税の対象であった。ビールが広く飲まれるからである。
 さて今日世界でもっとも広く飲まれているアルコール飲料はビールだが、言うまでもなく一番飲む国民はドイツ人だ。彼等は朝、昼、晩いつでも事情が許せば飲むが、事情が許さなくても時折飲み、酔っ払い運転をする。

 

六千年の歴史

 ドイツの飲酒運転の罰金は実に高く、運転者の1か月分の「税引き前所得額」と定められていた。それでも飲酒運転は通常のこと。西ドイツ当時から交通事故の最大要因が飲酒運転で、これは一向に減らなかった。もっとも飲酒運転の取り締まりも、ドイツ人に対しては余りないらし。このようなビール愛飲家は、ワインの国フランスやイタリアでも多く、とくにベルギー人はドイツ人と同程度に良く飲む印象だ。またオーストリアやスイスでは水が美味しいから、ビールもさらに美味しくよく飲まれる。
 ビールの歴史は6千年ほどで、第2シュメール王朝の初期つまり紀元前3千年以上も前から解明されている。当時は太陽や月が、神の支配や超自然的な支配の象徴であったが、これらはビールを飲んでいる王の姿と一緒に描かれている。そしてバビロンでは、ビール条例が敷かれていた。当時のビールは麦芽からではなく、大麦そのものから醸造されていたが、この方法がバビロン人からエジプト人に伝わり、さらに改善されてサフランやアニスなどの香辛料が加えられるようになった。
 この大麦からの醸造がギリシャ・ローマを経て、ケルトやゲルマン民族に伝わってきたが、ヨーロッパでは幾つかの「最初の醸造場」と記された僧院跡がある。それは、中世ヨーロッパでは僧院が、僧侶の朝食の「流動パン」として醸造していたからだ。

 

なぜドイツがビール王国に

 今日でも有名な醸造会社のうちには、この僧院の名を継承しているものが少なくない。そしてガリア人の僧が最初にホップを使用して、ビールを醸造したと言われる。これが一般に広まり、中世のギルド職人によって広くビールが生産されるようになった。
 この状況下で1516年にバイエルン公爵ヴィルヘルム四世は、ビールに関する「純粋令」を出した。それはビール醸造に際して、大麦とホップおよび水だけを使用して、「純粋なビール」を造るという内容だ。これが次第にドイツ全国に広まり、今日まで護られていることが、ドイツをして美味しいビールの国にしたと言われる。
 このビール醸造に関する「純粋令」は、今日まで変わることなくドイツ全土を支配するが、1970年代にECが「ECビール」を計画した際に、危うくなった。当時の西ドイツ以外は「純粋令」はなく、「ECビール」が西ドイツでも醸造されれば、西ドイツのこれまでの伝統が破られる。そこで西ドイツはECのこの案に猛反対して、76年ついにこれを撤回させた。
 さてカロリー計算をすると、ジュースや牛乳よりもビールは低カロリーで、しかもカロリーの半分がアルコールだから、歌でも歌いながら飲んでいる間に燃焼されてしまう。やはりビールは、ワイワイと陽気に南ドイツ流に飲むべきであろう。

 

(『通信文化新報』3月13日号に掲載した小生のコラムから)