田村正勝コラム:情報化技術による自由の喪失と文化の退廃----新たな「人間疎外」に直面----

「遠隔通信」と「シロアリ社会化」

 ドイツの社会学者ワーゲマンは、20世紀末には人類社会が「シロアリ社会」と類似すると予測した。人類が昆虫の触覚と同様な装置を持つようになり、昆虫と類似の社会を形成する。その中で最も合理的なシロアリ社会と似て、遠隔操作が可能な社会組織となると主張した(『明日の世界』1952年)。

 

 彼によると人類の歴史は50万年で、そのうち40万年以上が「ホモ・ネアンデルタール」の第一世代、次の10万年ぐらいが「ホモ・オーリニヤック(後期旧石器)」の第2世代、次いで最近の1万年が第3世代の人類であったが、20世紀には人類は第4世代に移行し始めるという。

 

 人類はアンテナやレーダーなど、たとえば蝶の触覚に相当する装置をもつようになり、シロアリの不可思議な「隔地通信」が、人類も可能となる。このような装置による工作的人間が、第4世代の人類だという。このワーゲマンの見通しは、前世紀末からますます的中してきた。インターネットや携帯電話が普及したが、これらは、いわば昆虫の触覚と同であり、これにより誰もが遠隔操作が可能となった。

 

イントラネット、メディアレイプ、プロパガンダ

 シロアリの遠隔操作のメカニズムは解明されていないが、ある時「この家を食いつぶせ」と司令が出て、大群が一気に集まって食いつぶし散っていく。これと同様に「携帯電話」や「インターネット」により指令を出しうる。すでに企業などでは「イントラネット」が普及しているが、これによって一方的な情報だけを社員に流すならば、社員の意識がコントロールされる。

 

 社会全体がインターネットでコントロールされることも稀にはあるが、イントラネットによる組織とそのメンバーの管理は、すでに日常的となった。第4世代人類は、この点で「新たな人間疎外」にも直面している。

 為政者による社会全体のコントロールの可能性も、「戦争プロパガンダ」に見られるように否定できないが、一般的には企業やその他の組織において、こうしたコントロールがおこなわれる。それは「メディアによる意識レイプ」と同様に、受ける側は無意識のうちに管理されてしまう。

 

情報の洪水に押し流される

 ゾムバルトは『ドイツ社会主義』(1934年)において、人々が大量の論理を知り、それらに囚われて「自由」を喪失し、文化も低俗になると説いた。他方すでにゲーテは、文化が近代文明の進展とともに特色のないものとなるが、それは文化ではなく、せいぜい「半文化」だと主張した(芸術論1800~1816年)。

 ゾムバルトも同様に、文化作品の大量生産ゆえに文化価値が低下し、文化の名に値しない「個性なき文化作品」や「文化の乗り合い馬車」が横行するという。テレビなどに見られるとおりだ。

 

 さて「論理による自由の喪失」は、今日ではゾムバルトの時代とは比較にならないほど深刻だ。人々はインターネットによって「論理による拘束」ばかりでなく、さらに情報の洪水で自由を失う。大量の情報を自家薬籠中のものとできず、これに囚われ押し流されている。

 

 さらに文化の退廃も深刻となっている。インターネットにより、たとえば学術論文の質の低下も眼に余る。インターネットで大量の情報をとり、それを組み合わせ加工する論文が多く、そこには独自性も思考の跡も見られない。

 

 イギリスの自然科学誌『ネイチャー』などの様な専門誌が、アメリカでは80年代末ころから3万種類以上となった。これに毎年100万の専門的な論文が載る。アメリカはとくに競争社会ゆえ、研究者は論文を書かないとポストを得られないし、既得のポストも失う。しかし、これらの論文を誰が適切に読み評価できるのか。

 

 高度に専門的な論文ゆえ、ごく少数の専門家以外は判定できない。それゆえ教授会などの一般的な判定は、論文の厚さで為されることもあるという。インターネットによる大量の資料の「論文の分厚さ競争」となる。こうして多くの研究者が、毎年壮大なムダをするが、そこから出てくる成果には、文化や学術の名に値するものは多くない。

本稿は『通信文化新報』9月11日号に掲載された拙論)