日本の国際化とナショナリズムおよび経済主義 ------経済と生活を貶める「経済主義」の克服がポイント------


(一)国際化とナショナリズムの交互変転

 かつてアメリカのレーガン大統領は、「強いアメリカ」を標榜して、新自由主義政策と財政支出を増加する「レーガノミクス」を推進したが、これにより逆に「財政赤字」と「貿易赤字」を増大させ「双子の赤字のアメリカ」にしてしまった。そして現在のトランプ大統領も「強いアメリカ」「アメリカ第一主義」を唱え、「公共投資および戦力増強」と「減税」ならびに「関税による産業保護」を遂行しているが、やはり財政赤字と貿易赤字を募らせている。

 

 このようなナショナリズムは今日ではアメリカだけでなく、EU諸国にも広がっており、ここでは「大衆迎合(ポピュリズム)政党」が、次第に勢力を伸ばしている。このポピュリズムの内容は、外国からの移民や労働者の入国を拒否して「自国の生活や文化を防衛する」というナショナリズムに他ならない。同様に日本でも現政権の「憲法改正」や「領土・国防問題」が絡んで、ナショナリズムに傾く若い世代が、次第に多くなってきた。

 

 ところで芸術家や小説家には、歴史の流れに敏感な人もいる。芥川龍之介は昭和2年(1927年)の自殺の前に、「漠たる不安に襲われて堪らない」と友人に訴えている。これは「大正デモクラシー」の時代が過ぎ去り、「国際化(グローバリズム)」から「軍国ナショナリズム」への転換が起きることを、いち早く感じ取っていたからであろう。

 

 日本の明治維新以来の歴史は、この図のようにほぼ20年ないし25年周期で「国際化」と「ナショナリズム」との間を揺れ動いてきた。明治維新からの20年間ほどは、「鹿鳴館」に象徴されるように、西欧文明を吸収する「文明開化」のグローバリズムの波が強まった。これに続く明治時代の後半は「殖産興業」と「富国強兵」のスローガンに象徴されるナショナリズムが高揚した。

 

 次の比較的短い大正時代は、「大正デモクラシー」に象徴される「国際化」が展開された。しかし芥川龍之介が不安を感じたとおり、昭和に入ると太平洋戦争の敗戦まで「軍国ナショナリズム」の嵐が吹きまくった。これらの国際化とナショナリズムは、それぞれ同じ内容ではないが、過去の経験を踏まえ、これを内包しながらも、両傾向に揺れるところの言わば「弁証法的展開」である。

 

 

(二)戦後の国際化とナショナリズム

 では戦後はどうか。戦後まもなくの太宰治の「デカダンス(退廃的耽美主義)」と昭和23年(1948年)の“グッバイ”と捨て台詞を残した彼の入水自殺は、戦後の西欧化の先駆けであったといえよう。ただし太宰の「デカダンス」と戦後日本の政治経済文化の「アメリカかぶれ」との間には、質的に大きな相違がある。けれども戦後20数年間はアメリカ模倣の「国際化」時代であったと言える。

 

 この国際化によって戦後の苦境から立ち直り、やがて「高度経済成長」を実現し、その自信から昭和40年代後半からナショナリズムに走り始めた。三島由紀夫は昭和45年(1970年)に「文化防衛論」を説いて市ヶ谷の自衛隊で自害した。それまでのアメリカ一辺倒の戦後史の転換を訴えて、日本固有の文化を取り戻すところの「文化ナショナリズム」の過激な主張であった。その後の日本は文化ではなく「経済ナショナリズム」にのめり込んでいった。

 

 これは三島の「文化ナショナリズム」とは縁もゆかりもない「輸出貿易第一主義」であるが、ナショナリズムには相違ない。世界から批難されるほどに、また貿易相手国の産業を瓦解させるごとき「過剰な輸出」を続け、日本の経済成長を誇るところの「経済ナショナリズム」だ。それゆえ世界から許されないと睨まれた。そして1985年の「プラザ合意」を契機として、円相場は1985年の1ドル240円から87年には120円への2倍の円高に見舞われた。

 

 

(三)日本における「経済主義の悪連鎖」-----悪連鎖克服のための中小企業の拮抗力を!

 これを契機に80年代後半とりわけ90年代に入り、過剰輸出一辺倒の「経済ナショナリズム」は終焉し、世界との協調を重視する「国際化」に方向転換がはかられた。ただし、これによって「経済主義」が反省されたとは言えない。それまでの「経済ナショナリズム」が齎したところの、次のような日本経済の変容の当然の成り行きによる「国際化」であった。

 

① 経済主義による悪連鎖とバブル経済

過剰設備投資⇒⇒過当競争・低生産性・長時間労働⇒⇒過剰生産⇒⇒過剰輸出⇒⇒過剰マネーと円高⇒⇒バブル経済(1990年には地価と株価の総額が1985年頃より、それぞれ500兆円以上値上がりした)⇒⇒繁盛貧乏不況・空洞化経済⇒⇒金融不安不況
 輸出で稼いだドルは、始めはアメリカの国債に投資されていたが、この米国債(ドル額)は、円高転換によって「円換算額」で半額となった。それゆえ80年代後半は、輸出で稼いだドルで米国債を買うのをやめ、このドルを日本に持ち込み円に換えた。それゆえ円は前年比10%以上も毎年増刷され、これが株価と地価を急騰させてバブル経済となった。

 

② 日本経済の空洞化と「円高」の悪循環

円高⇒⇒輸出減少⇒⇒海外組み立て工場進出⇒⇒進出工場へ部品機械の持ち出し輸出⇒⇒貿易黒字の増大(通関ベースで1986年は約900億ドル⦅14.4兆円⦆、1990年は約550億ドル⦅7.7兆円⦆の黒字)⇒⇒円高の高進⇒⇒いっそうの海外進出とくにアジア進出⇒⇒アジアのバブル経済とその崩壊

 

③ 空洞化の第2段階

日本の海外現地工場が、部品・機械その他を海外で調達する⇒⇒国内経済の停滞⇒⇒中小企業の困窮と消滅(中小企業数は1986年の533万社から、99年に484万社へと約50万万社減少)

 

④ 輸出プッシュと廉売に拠るデフレ

(1) 国内経済の低迷⇒⇒輸出プッシュ⇒⇒製造コストの削減⇒⇒大手企業による「下請け企業の納品価格切下げの強要」⇒⇒企業物価の抑制⇒⇒中小企業の利益圧迫・中小企業の減少(中小企業数は2009年421万社、2014年381万社と、この間に40万社消滅、1986年から150万社が消滅)⇒⇒賃金の全般的低下⇒⇒消費不況

 

 (2) 消費不況⇒⇒大手販売店の過当競争(スーパーのPB(プライベート・ブランド等)
⇒⇒販売価格切下げ競争⇒⇒製造コスト削減競争⇒⇒大手企業に拠る「下請け企業の納品価格切下げの強要」⇒⇒中小企業の困窮⇒⇒賃金の全般的低下⇒⇒消費不況の深化⇒⇒大手販売店の経営難(2018年の百貨店の売り上げは2000年より40%減少)

 

⑤ 消費不況の持続

 

 このような日本経済の低迷と困窮の中で、政府・日銀は上述のごとき「見当はずれ逆効果の政策」を展開しているゆえ、殆どの国民が将来不安を拭えない。それ故とりわけ若い世代や低所得者層の一部は、欧米諸国と同様に、これらの不安と不満に関して、その要因の所在を海外に求めて「ナショナリズム」に走りがちとなる。さらに安倍政権の「改憲」や「国防・領土問題」「アメリカに対する従属外交」による感化や反発も、このナショナリズムをプッシュする傾向となってきた。

 こうした状況下で将来に対して、今や先の芥川龍之介のように「漠たる不安」に襲われる人々も少なくない。これらを解消するには、当面は本誌で度々述べてきた「円安に拠る中小企業の川上インフレ・川下デフレ」の構造(産業二重構造)を変革し、中小企業が合理的な利益を確保可能にすることである。これにより中小企業の賃上げも可能となり、所得格差も消費不況も緩和される。

 そのためには中小企業の「同業者組織」および「異業種を含む地域業者組織」の連帯強化と、これらと「労働組合」との3者が協力し合って、大手企業に対する「拮抗力(countervailing Power)」を行使する。それによって大手企業に拠る「納品価格切下げ強要」を跳ね返し、「過当競争体質」から「秩序ある競争体質」に変わることが不可欠だ。各地域の「商工会議所」も、これに協力する姿勢と手段を講じるべきだ。

 その結果はじめてオランダ型の「時短・ワークシェアリング」や「同一労働同一賃金」が可能となり、出生率の低下・人手不足も緩和され、現在のごとき大手をはじめとする「多くの不祥事」を引き起こす「異常な経済主義」も克服されよう。


(本稿は日本経済協会『コンパス』12月下旬号の拙稿より転載)