近代文明の危機と一条の光

       

危機に立つ文明

人々は「新型コロナウイルス」の遥か以前から、不安を抱いてきた。それは「生態系の撹乱」、民主主義と市場経済の双方の「社会システムの機能不全」および「モラルの退廃」の3つが重なり、近代文明が危機に瀕しているからだ。メソポタミア文明を始め、これまで多くの文明が消滅したが、その要因は、これらのいずれか、或いはこの3つの複合汚染であった。

 

近代文明は、企業においては「効率と利潤の極大化を」、科学は「技術の最適化」を、生活においては「安逸便利快適さ」を、「合理主義」に基づいてそれぞれバラバラに追求してきた。それらが合わさった「合成の誤謬」が、近代文明の危機であるが、その成果と負荷は、次のように敷衍できる。

 

近代文明は「近代化」の推進によって展開されたが、そのポイントは次の3点であり、これに対応して、われわれは「3つの人間解放」を得た。第一は「合理的思考」により「迷信や因習からの解放」と「科学技術の展開」である。第二に「工業化」によって、世界的にはなお不十分ではあるが「貧困からの解放」を、第三に「民主化」により「政治的および社会的抑圧からの解放」を得た。

 

しかしこの近代化を余りに短兵急に追い求めすぎて、この「3つの人間解放」を払拭して余りあるほどの「3つの負荷」に遭遇している。第一は「生態系の撹乱」、第二が「地域共同体の消滅」、第三は「精神と文化の劣化」である。これらにより人々は「漠然とした不安感」に襲われている。これら「3つの負荷」に対する敢然たる挽回なしには、人類の破滅も日程に上るが、なお負荷は募り続けている。しかし他方で希望も見え始めた。

 

心に太陽を、唇に歌を!

日本に於いてもとくに「阪神淡路大震災」以来、ボランティア活動が活発になってきた。震災や豪雨あるいは台風や津波によって生活基盤を奪われた人々に対する「思いやり」が、様々なボランティアを産んでいる。また今回のコロナ危機に対しても、多くのボランティアが貢献している。

 

日本のボランティア活動は19.4万グループの707万人、個人のボランティアを合わせると、19年4月時点で合計880万人に達している(全国社会福祉協議会)。これは「危機に瀕している近代文明」の「一条の光」であり「希望」である。

 

われわれは、ここに希望を繋ぐことが出来よう。しかしこのような文明の希望ばかりでなく、個人にとって日々の希望も大切である。ヘレン・ケラーは “希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成就できない”と啓発した。またドイツの詩人ツェザール・フライシュレンの詩は、山本有三の訳で有名だが “心に太陽を!唇に歌を! ”と詩う。ギリシャのプラトンも “希望は高貴であり、その報酬は大きい。永遠に希望を持ち続けて前進だ ”と激励した。

 

アメリカのサミュエル・ウルマンは、70歳代後半になって「青春」を詩った。 “青春とは人生の一時期を言うのでなく、心の持ち様を言う。歳月は皮膚に皺を寄せるが、情熱が失われれば精神が萎む---心の中に灯が、唇に歌があれば--- ”と。 

 

古代ギリシャの哲学者エピクロスは説く “ もしも私が創造の神であったら、青春を人間の生涯の最後に持ってきたであろう。生涯の果てに愛すること、美しくあることのほかに心を配らない青春を--- ”と。

フランスのラ・ロシェフコー伯爵はエスプリを効かせて “われわれは希望という奴に、一杯食わされどうしだが、それでもやはりこれに案内されて楽しい道を歩み、人生の終着点にたどり着く ”と。

 

ゲーテは最晩年の詩「始原の言葉オルペウス風に」において、「ダイモーン(霊的な生命力)」「テュケー(偶然)」「エロース(生への願望)」「アナンケ―(必然)」「エールピス(希望)」の5つのギリシャ語により、彼の思想を次のように要約した。

 

“誰もが「ダイモーン」に突き動かされて、自分の思い通りに生きようとするが、「偶然」により意に反する運命に翻弄される。しかしその運命を愛し引き受け、雄々しくこれに立ち向かうことにより、運命を「必然」としうる。運命は必然として愛すべきである。誰でも生きているかぎり「希望」を捨てることが出来ないから、この「運命愛」が可能である ”と。