科学技術に過剰依存で隷従への道か!

科学技術の便益と弊害

今日の社会も企業も個人生活も、科学技術依存がきわめて大きく、その恩恵は小さくない。例えば電車の中でスマホを見ていない乗客が、ほとんど居ないほどに、我々は科学技術依存の生活だ。しかし科学技術が温暖化をはじめ「大気・水質・土壌汚染」の自然破壊をもたらし、またバイオ・テクノロジーその他が、人間の生命や精神に関しても深刻な問題を投げかけている。

 

会社でも科学技術に囲まれて仕事をし、生産スケジュールや事務処理作業の多くが、コンピュータに対応させられ、またオンライン会議にも追われる。ちなみにコロナ禍の20年からウェブ会議の時間も回数も大幅に増えたが、これは世界的な傾向だと言う(マイクロソフト)。

 

このように今日の生活は、「電子時計に拠る目覚まし」から「テレビ就寝」まで科学技術に依存し、どこまでが「自律的な本来の自分の生活」か、それとも「科学技術に奉仕する生活」か見分けがつかない。したがって逆にこのような技術依存性の危険も大きい。これらの技術が破損した場合の社会的混乱と人命の危険性については、通信システムの故障や航空機あるいは原発事故を例に挙げるまでもない。

 

朝日川柳に“ご笑納くださいましと200円”と載ったが、「KDDI携帯電話サービス」の故障は3901万人に影響した。どんな技術も故障の場合の社会的的影響は小さくないが、とくに「巨大通信システム」の影響は大きい。光ファイバー通信網を張り巡らし、メール、テレビ電話、文字図形情報システムなど新型通信技術で、ホーム・バンキング、ホームショッピング、データーバンク・アクセス、交通・旅行予約などすべてが、家や会社に居ながら可能になった。

 

しかしこれらの通信技術は、いずれも市民の欲求からでなく、エレクトロニクス関連の巨大企業により、これを売るために開発された技術である。またこの新技術を導入したのは、先ずは巨大企業もしくは官庁だ。自社商品の販売戦略や新製品開発のため、あるいは官庁業務を合理化するためである。例えば「国民背番号制」により、社会を中央集権体制により深く組み込む。

 

他方でSNSによる「個人情報の流出や自殺」など、SNS被害にあった子供数は、すでに16年時点で1736人と08年の2.2倍。このような弊害ばかりでなく、概して「科学技術による欲望操作」も問題だ。大手企業の「研究開発」は、人間の本来的欲望に関係なく、技術的および経済的な効率や効用の極大化を目指す。これにマーケティングが加わって作られた生産物が、我々の新しい欲望を喚起させる。

 

発明と使用の増大する責任

科学技術のプラスとマイナスは、かなり以前から認識され、論争が続いている。ハイデガーは「ひとたび科学技術を開発すれば、人間はその論理に乗せられ走りつづける」と、「技術の人間支配」を問題視した。またヤスパースは、近代人は「科学技術の装置の世界」に置かれ「根無し草」となり「故郷喪失」に陥るという。他方で多くの論者は「技術を中立的な絶対的な手段」だと規定し、技術が人間を支配するか否かは、これを使用する者の価値観や思想に拠るという。

 

この「技術の中立性」もある面で頷けるが、しかし技術はこれを作り出す人間の思想をも反映している。例えば「武器」を思い浮かべれば明らかなとおり、技術には「本来的性格」が内包されている場合もある。この視点からすると「作れる物は全て作る」という、科学者が陥りがちな態度にも疑問符が付く。

 

アインシュタインは、広島に原爆が投下されたことを知らされたとき“oh,weh!”と絶句したという。そして科学者の原罪を心から悟り、「今度生まれ変わったら、科学者でなしに行商人か鉛管工になりたい」と語った。とは言え科学技術は多くの場合「中立的」であり、技術が問題を発生させるならば、それは人間の責任である。要するに一定の技術を創造し使用する者は、常にその責任と反省を強く意識すべきである。

 

第一に「技術的に可能なものは何でも創る」という思想を否定する。第二に感覚的に把握しうる技術、さらに我々の5感を伸長させるような技術、いわば「技術の透明性」を重視する。第三に「自然調和的技術」かつ「美しい技術や生産物」であること、したがって出来る限り小さいエネルギーで可能な、非暴力的かつ非汚染的な「自然性」にマッチした技術を心掛けることが重要である。

 

岸田内閣は「日本経済の長期低迷・悪化」の要因を、「技術革新の遅れ」に見て、「新しい資本主義」ではスタートアップや技術開発を強調する。そして「科学技術予算」の拡充を図るが、同時にここで触れた「科学技術の問題性」と「脆弱性」をも強調し配慮すべきだ。公的な「テクノロジー・アセスメント制度」を強化することも重要である。

 

ちなみに科学技術予算はドイツが4.1兆円(18年)、日本も4.2兆円(19年)であった。日本の科学技術予算は、中国と比較すれば小さいが、一般的には決して小さくはない。