パンとサーカスと民主主義
古代ギリシャが崩壊した要因は幾つかあるが、ギリシャの民主主義が挫折したことも、その重要なひとつである。この民主主義挫折の要因も複雑であるが、アテネの民主主義体制においてデマゴゴスが幅を利かし、民主主義が独裁政治に変質したことが大きな要因である。
スパルタ戦争で生活が苦しくなった市民のために、生活費を支給する「ディオベリア」の制度が設けられ、指導者が変わるたびに支給額が引き上げられた。加えて国家的行事の競技会や演劇の入場料を支給する「テオリコン(見物料)」の制度も作られ、指導者が変わるたびに、この見物回数も増やされた。要するに、いわゆる「パンとサーカス」だ。
このような大衆の要求に対応して、「煽動政治家(デマゴゴス)」は、己の野心のために、より多くのパンとサーカスを大衆に与えて歓心を買う。こうしてデマゴゴスは、民主主義政治を独裁政治に変質させたのである。
ところで最近のトランプも「大幅減税」「外国人規制強化」「関税強化による産業保護」を打ち出し、またイギリスのトラス政権も、財源の裏付けがない「減税策」を打ち出した。これらはデマゴゴスの「パンとサーカス」の意図と全く同じではないが、ここには同様な「野心の入り込み」も確かだ。これに関して、『孟子』が思われる。
その「尽心章句上」で、「機変の巧みをなす者は、恥を用ふる所なし」という。つまり羞恥心の無い人は、いつも上手に立ち回り、不正義を平気で行って恥じなしという。また「人をもって恥ずること無かるべからず、恥ずることなきを恥ずれば、恥じ無し」と。要するに「人は常に省みて、自分が何か良くないことをしなかったか反省するならば、恥辱を受けることは起こらない」という教えだ。
もっともトランプ政策やトラス政策を、専らこの孟子の「恥の格言」に結びつける訳にはゆかない。なぜなら彼らの政策は、「熟慮不足」という面も大きいからだ。トランプ関税が、アメリカの工業の再興につながらず、むしろ輸入原材料や輸入食料品の価格上昇につながり、産業や家計の重荷となっている。
同様にトラス政策は、財政赤字を深刻にするから、この点から市場では通貨、国債、株式が同時に売られる「トリプル安ショック」をもたらし、首相は44日で辞任の憂き目だ。では日本はどうか。高市内閣は、「日本経済の不況脱出」と「国民の苦境緩和」のために21.3兆円の「経済対策」を打ち出し、補正予算も増加させる。
危うい政策-----日本もパンとサーカス?
その内容は「AIや半導体、造船などの投資促進のために7.2兆円」「ガソリン料金支援」「電気・都市ガス料金支援」「子育て応援手当」「ゼロ歳から高校3年生までの子供に、1人当たり2万円支援」「水道料金の減免」さらに「お米券」や1人3000円の「プレミアム商品券」などに向けた「重点支援地方交付金」などだ。
これらの政策には、トランプ策ほどではないが、先の「パンとサーカス」的傾向も見られ、また財政問題からして「トラス的危険」も予想される。実際にこの「経済対策」が発表さると瞬間的に、日本経済も「トリプル安」に見舞われた。またトランプ策と同様に、この経済政策が「円安・インフレ高進」など、逆効果となる可能性も否定できない。
日本経済も「生産力成熟・消費飽和・多品種少量生産」の段階ゆえ「投資を増やし経済成長」という発展段階ではない。また所得制限なしの様々な家計給付も問題だ。次表のとおり、労働装備率(従業員1人当たりの設備)を2002年の水準まで増やしても、労働生産性(従業員が稼いだ1人当たりの付加価値額)は、02年より10%ほど低い。ちなみにドイツも23~24年と2年連続のマイナス成長である。
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(表1)労働装備率・労働生産性・人件費の指数(全産業、1985年度=100) |
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年度 |
1990 1995 2000 2002 2005 2010 2015 2020 2022 |
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労働装備率 労働生産性 人件費 |
141 192 188 200 172 188 193 195 197 129 132 126 128 120 114 114 117 118 132 161 161 162 160 158 158 161 171 |
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(出所)財務省『財政金融統計月報』の「法人企業統計年報特集」の各号から作成 |
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高市内閣は先述のとおり、「不況脱出」と「国民の苦境緩和」のために、21.3兆円の「経済対策」を打つ。加えて補正予算を前年比4兆円超の18.3兆円と膨大にして、そのための国債追加発行額が11.6兆円に達する。当然にも「PB(国債費を除く予算の収支均衡)」は不可能だ。したがって「PBの単年度ごとの達成」を、「複数年度で収支バランス」と目標を変えた。
しかし国債発行残高はすでに1229兆円とGDPの2倍超となっており、財政の抜本的改革が不可欠だ。法人税と所得税の税収額は、「租税特別措置(租特)」および「金融所得分離課税」などにより大幅に減少してきた。消費税導入の1989年から2019年の30年間の減収額は「法人税」が298兆円、「所得・住民税総額」が275兆円で、合計573兆円である。
租特は現在96種あり、これによる23年度の減収は2.9兆円だが、現内閣もこれらのうち30項目をそのまま延長する。このうち「研究開発租特」で1兆円ほどの減収だが、これに加えて新たに「設備投資促進税制」も創設する。他方で無駄遣いの温床と言われる「国の基金」も23年度末で140基金18.8兆円だが、補正予算でこの基金も盛り込む。
日本経済再建の根本政策
現在の所得税は「金融所得分離課税」および「租特」により、「1億円の壁」と言われるように、高所得者ほど所得税率が低下する仕組みだ。所得税の最高税率は45%(地方税を含み55%)も高くない。ただし30億円を超える所得には追加負担をかけており、これを6億円超からにする調整をしている。それにしても累進所得税の累進度が低すぎる。1974~84年では、この最高税率は75%であった。
法人税収も多くの「租特」によって低下してきたが、租特の恩恵を受けられるのは、主として大手企業である。したがって法人税の「実効負担率」(法人税プラス地方事業税)は、中小企業の35%ほどに対して、大企業は10~20%と著しく逆進的だ。
要するに所得税も法人税も抜本的な改革をして、「高所得および高収益に対する応分な負担」を課すべきである。それでも日本の財政は立ち直れない。そこで筆者が20年以上前から主張しているように、「『相続税・贈与税免除の無利子百年国債』の発行による、全累積国債の借り換え」が不可欠である。これは先の応分な負担であり、同時に金融取引に血道を上げている不健全なカネを修正させることでもある。
日本経済の元凶は「円安」であり、これが「輸入原材料・食料品価格」を吊り上げて、インフレと中小企業および家計を困窮化させている。加えて大手企業による「下請け企業買い叩き」が、「実質賃金低下・消費不況」をもたらしている。前者は「異常な金融緩和策・超低金利」に、後者は不十分な「下請け法」によるものだ。これらを修正することが、現在の政策の根本である。
これらに加えて高市政権は、防衛問題を抱える。25年度予算の防衛費は、前年度比10%増の過去最大の8.7兆円であるが、補正予算で8472億円上乗せし、GDP比2%を達成する。他方で国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の「安保3文章」の改変をも目論む。
ちなみに首相は「台湾有事は、日本が集団自衛権を行使できる『存立危機事態』になりうる」と答弁したが、これは確かに勇み足の内容だ。しかし、それにしても中国の反発は異常だ。この事態から分かるように、防衛や軍事問題は、関係諸国にかなり厳しい問題を引き起こす。
したがって先の「安保3文章」は、軽々に見直すべきでない。『孟子』は「富国強兵」を図る人々が、そのために「民の賊」となって民衆を苦しめることになりがちだと説く。これは、まさしく日本の太平洋戦争に当てはまった。また戦争は「chicken-race(臆病者競走)の結果であることも、熟慮すべきである。
それは例えばAとBとが真正面から車を走らせ、双方とも怖くてしょうがない。しかし相手が怖がって、先にハンドルを切るだろうとお互いに我慢する。その結果正面衝突となる。多くの戦争の本質は、このごとくだ。したがって「防衛費」は可能な限り抑制すべきである。
